◆話の趣旨
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気象と言うものは、芸術の対象になりえます。それを表現すると言う中で、雷がどのように描かれていたのか。そして、写真技術の発展によってどのように変わったか。それを、時代の背景にある考え方とともに追っていきます。
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◆目次
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・表象された雷 〜写真登場以前〜
・写真技術の発展 〜客観的な視点へ〜
・結論
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◆議事録
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・【議事録はこちら】
です。当日の講座の内容が載っています。
・講座の内容を要約したものを以下に載せてあります。
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◆講座要約
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◇表象された雷 〜写真登場以前〜 |
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◆日本のカミナリサマって?
まずは京都の妙法院三十三間堂にまつられている雷神像と、北野天神縁起絵巻に描かれた雷神を紹介します。双方とも天界で太鼓を鳴らしており、絵巻の方では地上で人々が怖がっている姿が描かれています。日本では、この雷様という神をその音でイメージしていたのです。音の部分というものを、太鼓を叩く姿で表したのですね。その畏怖の念が音に集約されているといえましょう。
しかしこの怒りの神はまた、雨をもたらす、つまり豊作をもたらしてくれる慈愛の神でもあります。
日本の「カミナリサマ」にも,ほかの文化に登場する天候神と同じく、畏怖の対象であると同時に慈愛をもたらす存在としてのふたつの相反するイメージが与えられているということになるでしょう。前者については、音が、後者については稲妻という光の部分がそのそれぞれを表しているのですね。そして音の視覚化が太鼓を持った雷神で表されているのです。
・文様について
擬人化されるものから転じて、今度は文様として描かれているものを紹介します。稲妻文というのがそれですが、桃山時代から能装束などに見られる、直線をかぎ状に曲げた文様のことです。中国の雷文を敷衍させてこういった稲妻文を作っていったという経緯があります。
◆ヨーロッパでの稲妻のイメージについて
・神の怒りを表す
しかし皆さんもご存知の通り,雷というと鋭角をなし、ジグザグのラインで表されることが多いだけでなく,私たちにとっても雷というとこのジグザグ模様がすぐ頭の中に思い浮かびますね。西洋ではギリシャ神話の時代から、雷は音よりもむしろ、人を打つ電光として捉えられてきました。それを視覚化したものが、あのジグザグの稲妻なのです。
また、この電光は神様の持っている武器、相手を射抜く矢でもありました。つまり電光としての稲妻は、人間に対してひとつの恐怖、畏怖の存在であったといえます。昔から西欧の人にとっての雷は、ひとつには神の怒りを表す現象なのでした。
・人間の内面を表す
そして、もう一点。人の内面に沸き起こる激しい感情を、あたかも天候が鏡のように映し出すという考えは、特にシェイクスピアの劇の中ではお馴染みの思想です。嵐や雷も例外ではありません。そう考えると視覚化された鋭角のジグザグは、嵐に自分の心を投影する人々の内面の高まり、乱れた感情を表しているといえますね。
・神の意志を表す
描かれた天からの光には、今ひとつの意味があります。つまり人間に天啓を授ける神の積極的な意志です。しかし、このような天啓としての光は,絵画の世界ではジグザグではなく、一直線に対象に到達する光として描かれるのが通例です。
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◇写真技術の発達 〜客観的な視点へ
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ヨーロッパでは、神学の枠の中で自然を見るという態度が長らく続きました。
イギリスでは、自然科学とは自然の中に神の意志を見るという態度にほかなりませんでした。しかし地学や進化論などの自然科学の発達の中で、自然は神学的な見地から離れて、客観的に見られざるを得なくなっていきます。
その客観的な目として重要な役割を果たしたのが実は写真技術だったのです。
◇写真技術の発展から
写真技術は19世紀の半ばから大幅な進歩をたどります。人間の主観をさしはさまずに現実をあるがままに捉える手段として、自然科学の中での写真の役割は大きかったのです。
しかし神学的な自然観が常に人間の主観によってねじ曲げられていたとも限りません。19世紀の美術評論家ジョン・ラスキンは、偏見なしにあるがままの自然を見ることによってこそ、神の意志に到達できるということを主張しました。その結果,写真技術が発達する以前から、彼は稲妻をジグザグに描写することが自然に反することであると指摘しているのです。稲妻を含め、忠実に自然を描いた画家としてラスキンが賞賛したのが、J・M・W・ターナーでした。ターナーを含め、多くの
画家たちが、天候に魅了され、雲や雷を描き続けたのは、生きているもののごとく常に形を変える、あるいは瞬間的に発生するために、明確にその姿を捉えることが大変難しい現象であったからでしょう。だからこそ雷や稲妻を巡って,時代を越えてさまざまな神話や言い伝えも生まれたのではないでしょうか?
・気象現象 神秘学→科学へ
雷が人々を魅了するのは先にも述べたようにその瞬間性にあるともいえるでしょう。19世紀のイギリスでは、気象科学者がいろいろな人々の観察記録を使ってこの一瞬の出来事を調査した例もあります。どんな色か,どんな形か,何時ごろ起こったか、そのときに雨は降っていたか、という報告を各地から寄せてもらうのです。しかし、人の目もなかなか正確とは言い難い。そこでクローズアップされていったのが気象学における写真技術の応用でした。
・写真の必要性について
気象学者たちにとって、写真技術の意義はふたつありました。まず撮られたものの分析を促し、分類して命名するということです。stream, sinuous,
ramified, meandering, beaded or chapletted、つまり、波状、枝状、くねくね状,そしてビーズ状といった分類です。このように名前をつけることによって今まで漠然と捉えられていた稲妻に、ある種の法則を与えようとしたのです。そしてもうひとつの意義は今までの雷光に対する思いこみや迷信を払拭するということでした。雷光をジグザグに描くという描写もこの迷信のひとつとされたわけです。
しかし、写真によって撮られた稲妻がすぐに真実として受け入れられたわけではありません。なぜなら、写真を撮るのは人間ですので、どうしても手ぶれなどのミスは避けられないのみならず,写真に手を入れるという詐欺も横行するようになったからです。
・写真によって確認されたこと
しかしやがてさまざまな撮影器具が登場するに連れて、少なくとも人為的なミスは減少していきます。その結果実際に存在が確認されたのは
・多重雷(マルティプルフラッシュ)
・リボン状の雷光
のふたつです。これらは技術が進歩するまでは、「手ぶれ」のせいであると思われていました。
1890年代の撮影技術の革新によって確認されるに至ったものは、3つあります。まずは上に挙げたふたつの雷光が確かに起こるということでした。
それに加えてもう一点確認されたこと。
それは、ジグザグ状の稲妻は存在しないということです。この3点が写真によってわかった重要なポイントです。その影響を受けて、絵画上の稲妻の描写も変化していきます。
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◇結論 〜雷はいつまでもジグザグ〜 |
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しかし果たして稲妻はその私たちの頭の中でその姿を変えたでしょうか?
21世紀の私たちにとっても気象とは、やはり裏付けのある自然現象であるはずです。しかしながら、やはり自然は人間にとっての脅威であり、気象は神の意志の表われであることに変わりないのではないでしょうか。特に人間の手によって破壊されていく環境は、新たな稲妻となって、私たちの上に降りかかってくる。先ほど温暖化の話が出ましたが、これもやがては私たちの上に降りかかってくる自然界の脅威となっていくのでしょう。
ですからやはりどんなことがあっても,稲妻は、雷サミットのロゴのギザギザのように、私たちにとって永遠にジグザグであり続けるのだと思います。
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